受験時に持っていきたいパワーストーン

パワーストーンの中には受験のお守りとしてピッタリのものがあります。思考力と想像力を高める「アマゾナイト」、機転がきくようになり、多くの知恵を授けて学業成就に導くと言われる「ジェイド」(ひすい)」、希望ややすらぎをもたらして潜在能力を開花させる「スモーキークォーツ」、勇気と決断力を与えて才能を開花させてくれる「ソーダライト」など。こうしたパワーストーンをブレスレットなどにして身に着けると、試験当日も緊張することなく実力が発揮できるのではないでしょうか。
「チューンライト」というパワーストーンはゾイサイトグループの1つで、ピンクから赤色をしたものをいいます。なお、緑色をしているものは「アニョライト」、青色のものは「タンダナイト」と呼ばれます。主な産地はノルゥエーで「チューンライト」という名は、ノルウェーの古い地名「チュール」からつけられたといいます。女性性を象徴するパワーストーンで、自他の愛や慈しみの心を深め、コミュニケーション力を高めると言われています。
 太平洋を望む宮城県山元町の普門寺。東日本大震災の津波で、檀家(だんか)50人以上が犠牲になった。墓も倒れ、本堂も壊れた。日々がれきと格闘してきた住職の坂野文俊さん(48)。寺は海から約500メートルの立ち入り制限区域にあって、今も水道、電気が遮断されたまま。それでも、何とかお盆に檀家を迎えられるまでに復旧した。

 檀家が集まる13日の施餓鬼(せがき)供養が迫る8日。檀家役員やボランティアと本堂前の崩れた向拝(ごはい)の棟上げを終えた坂野さん。「一時は取り壊す話も出たんで…」。再び建った向拝を見る目が潤んだ。
 3月11日。地震の際、隣の亘理町にいた。寺に戻ろうとしたが、連絡が取れなかった名取市の長女夫婦の元へ向かった。その後、津波が襲った。長女夫婦、同居する妻と次女の無事を確認、寺にたどり着けたのは震災から5日目。「絶望してしまう」。そんな光景だった。
 約200基あった墓は倒れ、100メートル近く流されたものもあった。骨つぼも散乱。がれきで埋まった本堂に法具はなく、過去帳も流失した。
 250ほどの檀家の大半が、寺の周辺にある。葬儀場で多くの檀家を見送った。「理不尽な死」。幾度も読経の際に涙が止まらなくなった。
 しかし、悲しむ檀家のよりどころになるはずの寺は荒れたまま。「このままでは迎えられない」。父が住職を務める山手の寺を避難先に、そこから通い続けた。スコップでかき出した砂を一輪車で運んだ。葬儀の合間を縫っての作業。76キロあった体重はすぐに12キロ減った。
 1人では限界があった。ただ、立ち入り制限区域に、ボランティアは派遣されない。「行ってもいい」という声はあったが、安全確保で悩んだ。それでも「本気で再建に取り組む」と5月、ボランティアを受け入れた。
 すぐに相棒ができた。名取市のヘルパー藤本和敏さん(42)。孤軍奮闘する坂野さんに助っ人を申し出た。2人で砂を運び出し、流れた墓石を集める日々。倒れた墓石は借りた重機で引き起こした。
 7月、藤本さんが周辺民家への支援も行うボランティアセンターを境内に設置。ボランティアも檀家の顔出しも増えた。
 何とか墓地の整理はついたものの、納骨できる状況にはない。海に近い寺は、町の計画次第で移転を迫られる可能性もある。でも今は「ここで再建する」と決めている。反発も承知。「そう思わないと前に進めない。希望が見えなくなる」
 ボランティアと墓地から運んだ砂は、寺の奥で丘になった。流れ出たお骨を含んだ大事な砂の丘。上に観音様を配した。
 13日、再会する檀家にかける言葉は、まだ見つからない。ただ願いはある。「少しでいい。笑顔が見たい」。あの日絶望を感じたこの場所で。
(大場隆由)

 東日本大震災による津波で大きな被害を受けた福島県新地町は、被災地域の災害対策や土地利用などに関する素案をまとめた。複数の防潮堤による津波対策や原子力災害対策施設の設置などを盛り込み、年内に計画案を策定する。
 町復興計画策定委によると、沿岸部には高さ6〜7メートルの防潮堤を設置。防潮堤の内陸側に公園や遊水池を整備し、さらに西側にある現在のJR常磐線近辺に国道や県道をかさ上げして建設する構想が基本となる。
 住宅や市街地は、さらに内陸部に移設。津波で家屋が流失した地域は災害危険区域に指定し、水産業など一部の職種を除いて建築制限を設ける。
 素案では県道や国道、常磐線など主要交通網の移設場所を変えた4パターンを提示。沿岸部の土地利用ゾーニング案では、低レベル放射性物質1次管理区域や除染実験プラント、自然体験施設、スポーツ公園などを提案している。
 新地町では津波で6集落485戸が被災した。被災者アンケートによると、住宅再建に当たり重視するポイント(複数回答)は69%が「高台」と回答。「現在の宅地」は44%、「海の近く」は6%だった。

 1階が津波で被災した自宅の2階などで生活する「在宅避難者」が多い宮城県石巻市では、東日本大震災の発生から5カ月がたった今も、台所や風呂が使えない厳しい環境で暮らす被災者も目立つ。被災規模が大きいことに加え、仮設住宅への入居や、自治体の復興計画づくりが遅れていることなどが背景にある。

<ガスも電気もなく>
 旧石巻市役所に近い中央1丁目の会社員杉山創さん(62)は、1階天井まで水に漬かり、ガスも電気もない自宅で暮らす。夜は懐中電灯で明かりを採り、携帯式ラジオを聞く。食事は、地区の配給所に市から届く弁当やおにぎり、パンだ。
 妻の愛子さん(59)は震災当日、外出先から「渋滞に巻き込まれている」とのメールを送ってきたのを最後に行方不明。「妻を迎える準備をしたい」と6月の百か日に合わせ、近所の避難所から自宅に戻った。
 仮設住宅を申し込んでおり、台所も風呂も改修しないつもりだ。自宅はいずれ取り壊すしかないと考えている。泥を払った仏壇の近くに妻の写真を飾ったが、葬式を出す気にはまだなれない。「仮設住宅が当たるまで今の生活を続ける」と話す。
 店舗兼自宅が立ち並ぶ中央地区では、現地での住宅再建を目指す人も多い。ただ、建築基準法による建築制限が掛かる区域で新築や改築は困難。土地利用の方針を示す復興計画がなかなか見えず、住宅再建にも影響を与えている。
<建築制限が障壁に>
 中央1丁目の菓子製造販売の西條稔さん(70)は、1階が浸水した鉄骨3階の店舗兼自宅の壁がはがれて工事用の足場が組めず、都市ガスを自宅に引き込めない。ガス復旧には改築が必要だが見通しは立たない。西條さんは「建築制限が外れないと前に進めない」と嘆く。
 「復興計画の内容次第では移転を求められる」として、自宅の本格修繕に踏み切れない被災者も少なくない。
 1階が浸水した全壊状態の住宅が広範囲に広がる大街道地区。大街道南3丁目の自宅の一部を、住民向けの食料配給所として提供している会社社長佐々木公男さん(65)は「費用を掛けて直していいものか、多くの住民が迷っている」と明かす。周辺では約180人が食料配給を受け生活する。
 石巻市によると、3食相当分の配食を受けている在宅避難者は約1万人。車がなければ日常の買い物が難しい地域の市民も含まれており、避難生活の解消には時間がかかりそうだ。